箱根駅伝初出場 陸上競技部20傑 練習環境 OB組織 支援組織 合宿所案内 部の歴史
創立119年目で悲願達成

2002年で学校創立120周年を迎え、陸上部創部の記録が残っていないほどの長い伝統を誇る。陸上部としては1973年から大森現部長が指導に携わり、ゆっくりと、着実に本戦出場を目指す土壌を作ってきた。 86年から推薦制度によって、実績のある選手が少数ながら受け入れられるようになり、88年に現監督の森田、その2年後に鈴木博幸(現・富士通)が入学。鈴木が3年生だった69回大会(92年)に、過去最高の11位に上がった。予選会の11位までが本戦に出場できる、翌年の70回記念大会に希望が膨らんだが、鈴木のケガなどがあって15位に終わった。

当時、選手として駅伝チームの礎を築いた森田監督、山中慎コーチ、鈴木コーチが今はスタッフとしてチームの強化に携わる。 その3年間は苦戦が続いたが、大学に特別強化部会制度が発足。駅伝、柔道、野球の強化に乗り出した。98年度から駅伝、柔道、野球の選手が入学できる推薦制度を導入。それに先駆けて97年春、30年近く監督を務めた大森部長の推薦で、日清食品に所属していた森田を新監督に招へいした。

森田監督就任1年目は長距離部員が9人だったため、競歩、中距離選手を長距離ブロックに編入して11人を揃え、予選会に出場(19位)。翌年、新制度による新入生が入って戦力が整いだすと、前々回の98年に16位、前回13位と順位を上げる。 ただし、前回は1秒の大切さを思い知る結果でもあった。


チーム一丸

選手はもちろん、それを支えるスタッフ、大学、周囲の力が一枚岩となって勝ち取った初出場。まさにそんな印象だ。 神道学科で知られるように、全国各地の神社に卒業生がいる。学生3大駅伝の舞台となる出雲、伊勢、箱根はいずれも神社に縁のある土地。合宿は神社に寝泊りさせてもらうなど、惜しみない支援を受けている。

川崎市内の寮を借り上げ、選手は27人全員、その「走根寮」で寝食をともにする。森田監督にはフルタイムで指導に専念できる立場が与えられ、大森部長とともに24時間指導体制を実現。スタッフは練習だけでなく、生活すべてが競技につながる環境づくりに腐心してきた。

森田監督は「走っている時間は他校と変わりません。練習の量、質には限界がある。栄養、睡眠、マッサージ、補強など、そういった走練習以外のことを大切にしています」という。 そして徹底した自己管理を行い、“真面目すぎる”寮生活を実践してきた部員たち。消灯時間は10時と決められていたが、夏合宿から帰ってきたら、学生が9時半にしましょう」と自発的に早めた。

長い歴史を誇る異色の初出場校・國學院大が21世紀最初の箱根駅伝に新風を吹き込む。
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